出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広西チワン族自治区 桂林市 臨桂区 |
資料にある地域情報 | 義寧 |
慰安所があった時期 | 1945年2月 |
記載内容 | その後、谷口兵長はまた珍しい話を切り出した。「川向こうの最初の民家はピーヤだぞ。俺は遂にピーヤに行ってしまった!」(ピーヤとは現地の中国女性、主に婦人を捕らえて慰安婦にして占領地の民家に拘束し、慰安所として兵士たちの戦力の減退を防ぐために上官の命令で作られていた)と、谷口兵長は遂に自分の童貞を破ったと残念な表情で語りかけた。「なんですか兵長殿、ピーヤですか。ピーは何人いますか?」石原上等兵は真面目になって聞く。すると、「俺は、指揮班の梅田班長殿が金(儲備券紙幣又は国民政府の法幣)は俺たちが持っているから谷口一緒に行くぞと誘われたので行ったんだ。すると部屋の入口には2人~3人と中隊の兵隊・下士官も自分順番を待っている。その部屋は3部屋に分れ、ピーも3人だ。その3つの部屋に並んで順番を待つ時は照れ臭さかったぞ!」・・・日本皇軍が、天皇の軍隊が、中国の女性を捕らえて急作りした野戦慰安所。ここにも戦争の惨々たる現実があるのだ。女性であるがゆえに自分の体を男の自由放題な振る舞いに任せなければ死あるのみである。・・・ここ義寧の川岸は、岸からの風が冷たかった。・・・夜が明けて2月14日朝、第1中隊は義寧を出発して大隊本部の位置する龍勝へ向かった。 |
証言者 | 吉岡義一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 零の進軍 大陸打通作戦 湖南進軍 死闘1400km 一兵卒の壮絶な大記録(下) |
著者、公文書発信者など | 吉岡義一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2015.5.15 |
発行所 | 創流出版 |
ページ | 110-112 |
出典備考 | |
備考 |
C13032645300の1461「広西省通信網図」は模式的な地図ではあるが、これによると桂林の北西に「義寧」が、その義寧の北方に「龍勝」がある。また義寧の西方又は西北に「三江」がある。この位置関係を現在の地図に当てはめると、「五通鎮」と思われるが断定できず。/テキサス大学図書館公開の中国地図・KUEI-LIN(シリーズL500、1954~)に「義寧I-NING」がある。桂林の北西、地図の「0-0」にある。現在の地図で同所は「五通鎮」と思われるが断定できず。ここでは行政区画の上位地名である「桂林市臨桂区」でとった。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUEI-LINは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-10.jpg |