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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報広西チワン族自治区 桂林市 茘浦県 馬嶺鎮
資料にある地域情報馬嶺鎮の日本軍のトーチカ(防御陣地)がある場所
慰安所があった時期1944年11月
記載内容日本軍がやってくるとの知らせがあったので、村人みんなと山の洞窟に隠れました。夫も一緒です。男たちは昼間、収穫のために野良仕事に出て夜は洞窟に戻る。女たちは中で育児と家事をする毎日でした。・・・洞窟生活を始めて2~3週間経ったある朝のことでした。二番目の娘をおんぶして洞窟を出たところ、突然日本兵が現れた。洞窟に戻ろうとしたが、背負っていた子どものおんぶ紐を銃剣で切られ、子どもが地面に落ちて泣いた。私は『救命!』(助けて)と叫んだが、誰も助けにきてくれませんでした。・・・車にはすでに4~6人の女たちが乗せられていました。私のあとにも1~2人の女が乗せられてきたと思います。連れて行かれたのは知らない場所でした。その駐屯地には兵隊が20~30人いたようです。・・・この窓に見覚えがある。私は玄関を入って左から二つ目の部屋に入れられた。
証言者韋紹蘭
証言者属性中国人被害者
部隊名第11軍37師団
資料タイトル「慰安婦」強制連行 〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子
著者、公文書発信者など梶村太一郎, 村岡崇光, 糟谷廣一郎
公文書宛先
発行日2008.6.6
発行所金曜日
ページ265, 266, 269, 271
出典備考糟谷廣一郎「第2部 私は”日本鬼子”の子」
備考 馬嶺鎮は桂林市中心部の南方、茘浦県にある。テキサス大学図書館公開の中国地図・LI-P'U(シリーズL500、1954~)に「茘浦」がある。茘浦の北方に「馬嶺墟」がある。地図の「4-2」にある。現在の地図で同所は「茘浦県馬嶺鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・LI-P'Uは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-14.jpg
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