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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報海南省 三亜市 吉陽区 楡林
資料にある地域情報海南島 楡林
慰安所があった時期
記載内容マリ子の両親は半島出身者だったが、横浜で相当多くの半島人を使い土建業をやって裕福な生活だった。マリ子が女学校3年の春、工事現場で大事故があり、父親と使用人2人が即死してしまった。・・・然しその日の生活にも困るようになったマリ子と母親は、近くのお爺さんからもぐさ作りを教わり、朝早くから蓬採りを始め、もぐさを作って漢方薬屋に売りに行った。・・・その頃、母親が親しくしていた春川節子さんという方から、「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話があった。仕事は月30円、仕度金として20円、宿舎糧食衣服等は現地支給で、志願者が相当多いとのことだった。・・・マリ子は見送りの人々に手を振って、下関港の御用船に乗りこんだ。一緒に志願した人たちは百名だった。・・・幾日経ってもどこへも寄らず、狭い御用船は1日毎に暑さが酷くなってきた。どうやら船は南下しているらしく、みんな騙されてどこかへ連れて行かれることがもう疑いのないものとなった。みんなが怒って騒ぎだしたが、船は夕刻海南島に着き、上陸させられ、3班に分けられ車で楡林の3ヶ所の慰安所に送りこまれてしまった。・・・マリ子は何回となく死ぬことを考えたが、やっぱり死ねなかった。それからシンガポール・ラングーン・メイミョウと兵団の進むがままに、流されるようにメイミョウにまでやってきた。
証言者山口彦三
証言者属性日本軍兵士・陸軍軍曹
部隊名第18師団司令部
資料タイトルビルマ平原 落日の賦
著者、公文書発信者など山口彦三
公文書宛先
発行日1987.10.5
発行所まつやま書房
ページ47-48
出典備考林博史(構成)「【資料構成】戦争体験記・部隊史にみる「従軍慰安婦」」まつやま書房 『季刊戦争責任研究 第5号』1994、日本の戦争責任資料センター、26-27
備考 マリ子が騙された経緯は吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人』の場面と類似しているが、完全に一致してはいない。山口がマリ子から聞いた彼女の体験がそこに反映されているのだろう。当時、マリ子が住んでいた下関のある地区にはたくさんの朝鮮人が居住していた。吉田は刑事の助けを借りてその地区を回り、若い女性らを騙して慰安婦にした。/テキサス大学図書館公開の中国地図・萬寧(シリーズL500、1954~)に「楡林」がある。地図の左端にある。現在の地図で同所は「三亜市吉陽区楡林」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・萬寧は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ne49-6.jpg
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