証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報海南省 海口市
資料にある地域情報海南島 海口
慰安所があった時期1942年5月
記載内容「あの姑娘ですか。日本名を光子というのですが、本名の陳光炎の方が通用しているようです」「どこの食堂か」「いや、南園の女ですよ」「なに、南園といったら特殊慰安所ではないか。では酌婦か」・・・特殊慰安所(現地中国籍の女性のみを稼業させる日本陸軍特有の慰安所で、陸軍の軍人軍属のみ利用できるもので、一般邦人、海軍関係者の使用は固く禁止されていた)南園の経営者は、鶴田という50を過ぎた60に近い、一見して花柳界上がりと知れる初老の婦人であった。・・・酌婦の外出、外泊にさいしては必ず届け出を出して許可を得なければならないし、陸軍軍人の登楼を拒否するようなことがあったらただちに営業取り消しにするぞと、厳重な警告を与えるとともに、陳光炎の行動は十分監視するように注意した。
証言者鈴木卓四郎
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル憲兵余録
著者、公文書発信者など鈴木卓四郎
公文書宛先
発行日1984.3.15
発行所図書出版社
ページ94-96
出典備考注:78pに、朝日亭の経営者は小泉で、現地除隊者であったこと、彼は場所不明だが朝鮮系の陸軍慰安所「福山」の帳場係をまかされ支配人的存在となり、その後、独立し酌婦らを集め1942年6月に海南島に戻って来た旨書かれているが、海南島のどこかは不明である。また93pには、慰安所南園は海口市にあって、証言者が陳光炎を知ったのは1942年5月10日のことだと記載されている。
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・HAI-K'ANG(シリーズL500、1954~)に「海口」がある。地図の下端中央右寄りにある。現在の地図で同所は「海口市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HAI-K'ANGは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-14.jpg
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