出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 海南省 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 海南島 |
慰安所があった時期 | 1942年8月頃 |
記載内容 | 慰安婦“小花”を知ったのは、昭和17年の後半、私が軍曹に進級してから間もなくであったから、8月の末か9月のはじめだったと思う。・・・朝日亭はつい2,3ヵ月前に開業したばかりの陸軍慰安所であった。昨日も経営者の小泉と会い、別段変わったこともないようだったのに、わざわざ面会に来るところを見ると、何か特別な用事ができたのだろうか。・・・軽い微笑を浮かべ、もみ手をしながらさも話しにくそうに語ったのは、慰安婦“小花”の行状についてであった。もちろん“小花”とは本名ではなく源氏名であり、本名は「李」とか「張」とかいう半島人である。小花は2千円とかの前借りで台湾から連れてこられ、朝日亭の開業と同時に稼業した慰安婦であった。・・・ 毎月末には慰安婦たちの稼ぎ高の監査のため、各慰安所をまわることになっていた。形式的ではあったが、個人の稼ぎ高を調べては、楼主、慰安婦との分配が適法であるか、楼主に不正がないかなどと指導監督するのである。しかし、なにか慰安婦の秘密以上の秘密に入るような気がして、楼主の報告を信用して認め印を押すのが常であった。そんなことのあった月か、その翌月だったか、朝日亭に行った。帳場に上がっていつもの通り稼ぎ高帳に目を通しているときだった。例の小花があたりをはばかるように入ってきた。真っ白に化粧した顔には、あのときのような女らしさはなく、肉体を売る娼婦そのものであった。・・・ |
証言者 | 鈴木卓四郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士・行政主任・軍曹 |
部隊名 | |
資料タイトル | 憲兵余録 |
著者、公文書発信者など | 鈴木卓四郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1984.3.15 |
発行所 | 図書出版社 |
ページ | 69-73 |
出典備考 | 注:78pに、朝日亭の経営者は小泉で、現地除隊者であったこと、彼は場所不明だが朝鮮系の陸軍慰安所「福山」の帳場係をまかされ支配人的存在となり、その後、独立し酌婦らを集め1942年6月に海南島に戻って来た旨書かれているが、海南島のどこかは不明である。また93pには、慰安所南園は海口市にあって、証言者が陳光炎を知ったのは1942年5月10日のことだと記載されている。1970年秋に”小花”と秋田で再会している。 |
備考 |