出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 龍陵県 松山村 |
資料にある地域情報 | 拉孟 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 拉孟に慰安所ができたのは、19年のはじめだった。軍司令部より、慰安所を設けてはどうかという話があったとき、松井大佐は最初これを断った。拉孟は最前線であり、敵の弾着距離内にある。そこに慰安所を建てるというわけにはいかない、というのだ。慰安所を設けるよう指示してきたのは、あらたに第33軍の作戦参謀となって着任した辻政信である。・・・「娯楽施設もなにもない戦地にあって、ただ陣地づくりで働かせるだけでは、兵隊がかわいそうだ。たまには楽しみもあたえてやらんことにはなーましてや、北九州の兵隊は女好きだというからな」辻はそういって、豪快に笑った。・・・松井も辻の意見をいれ、さっそく本道陣地裏の斜面を切り開き、2軒の慰安所を建てることにした。・・・ほどなくして、慰安婦たちがトラックで到着した。特要員とよばれる前線の慰安婦は、全部で20人だった。・・・真鍋大尉が軍旗を焼いた壕内に、20名の慰安婦が取り残されていた。15人の天草出身の婦人と、5人の朝鮮出身の女性たちだった。 |
証言者 | 相良俊輔 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第33軍 |
資料タイトル | 菊と龍 祖国への栄光の戦い |
著者、公文書発信者など | 相良俊輔 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.4.19 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 259-261, 324 |
出典備考 | |
備考 |