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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報雲南省 保山市 龍陵県 松山村
資料にある地域情報拉盂
慰安所があった時期
記載内容この記事から分かるのは、松山(拉孟)にいた「慰安婦」は全部で24名であり、そのうち中国軍に捕らえられた「慰安婦」は、日本人と朝鮮人合わせて10名だったということだ。・・・では、10名のうち、朝鮮人、日本人はそれぞれ何人だったのだろうか。「9月3日」付の写真(口絵①)には永心を含めて朝鮮人「慰安婦」4名が写っている。これと同じ日付で、「35歳の日本人女性で、それまで職業として売春を行ってきた人物」との説明が付された写真がある。電話をかけている中国軍の兵士らしき男性と捕らえられた女性の写真である(119ページ上)。早見が、「この女性はフタバに似ている」と言っており、写真の説明と、早見の証言から、この女性はフタバであると考えられる。・・・また、通信電報班の松下一雄と早見の証言から、「9月7日」と記された写真の日本人「慰安婦」は「マコト」であることが分っている。米軍兵士から手の傷の手当てを受け包帯を巻いてもらっている女性の写真だ(119ページ下)。・・・これらから、少なくとも朝鮮人4名と日本人2名は確認できる。・・・中国第8軍の主力により完全に制圧された際、「敵軍9名、内有中尉一員、此外並俘敵婦5名」、つまり日本軍将兵9名、女性5名を捕虜にしたとある。この5名のうちの1名が前述の「9月7日」に捕らえられた日本人「慰安婦」、「マコト」であるとすると、・・・10名ということになる。しかし、10名という人数に疑問がないわけではない。昆明の捕虜収容所での朝鮮人と日本人捕虜のデータには、拉孟にいた朝鮮人「慰安婦」は10名と記されているからだ。
証言者早見正則
証言者属性日本軍兵士
部隊名第56師団拉孟守備隊
資料タイトル戦場の「慰安婦」 拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡
著者、公文書発信者など西野瑠美子
公文書宛先
発行日2003.12.25
発行所明石書店
ページ72-121
出典備考
備考 記事は、米軍が出していた週刊新聞『ラウンドアップ』(1944年11月30日)のこと。
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