記載内容 | 慰安所にされたという畢の家の隣の写真館は、裸の「慰安婦」の写真を持っていた熊維元(1941年生まれ)の家だった。・・・1942年、日本軍が騰越に入ってきた時、熊一家(両親と6人の子どもの8人家族)は取るものも取りあえず家から逃げ出した。戦後自宅に戻った熊は、爆撃で破壊された家の庭に花模様のワンピースやブラジャー、下駄、コンドームなどが捨てられているのを見た。・・・(注・ある日、紙包みの中にネガが入っているのを発見した)「どこで見つけたんだ?」父親の怖い形相に「壁の穴の中……」と説明したが、父親は黙ってそれを取り上げてしまった。以来、熊はすっかりそのことを忘れていたのだが、1986年に父親が亡くなった時に遺品の整理をしていてそのネガを見つけたのだった。その時、自宅が慰安所に使われていたことと考えあわせて、「もしかしたら慰安婦の写真ではないか」と思ったという。熊が見せてくれた女性の裸体写真は全部で5枚あったが、そのうちの1枚の写真の女性はお腹が微かに大きくなりかけていて、妊娠4,5ヵ月ぐらいのように見えた。2000年に東京で開かれた女性国際戦犯法廷のために来日した中国人研究者が「朴永心さんにその写真を見せたところ、自分だと言った」と話していたことを伝え聞き、中国から帰国した1ヵ月後、私はその写真を持って訪朝した。永心は、他の「慰安婦」と一緒に、4,5人の日本兵にある建物に連れていかれ、そこで撮影されたと話した。そして撮影が終わると、日本兵に強かんされたと……。 |