出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝市 |
資料にある地域情報 | 騰越 |
慰安所があった時期 | 1943年暮 |
記載内容 | 早見上等兵は、拉孟全滅戦の前の昭和18年暮れから19年3月一杯まで騰越にもいたことがあり、若い現役兵だから拉孟、騰越のどちらの慰安婦たちとも、よく見知っていた。その早見上等兵によると、吉野上等兵のいう日本人慰安婦とは拉孟脱出者であった。最前線で日本人慰安婦がいたのは垃孟の5人ほどだけだ。吉野上等兵がマダムと思ったのは、やや肥えた年増で、大分県出身という「双葉」だ。いちばん若いのが「誠」で、確か大牟田出身、それに鹿児島出身とかいう「君子」と、もう一人、全部で4人が助けられ収容されていた。ほかに垃孟組の朝鮮人5名ほどもいた。ということは、垃孟にいた朝鮮人約15名のうち約10名は死に、5人ほどだった日本人はほとんど助かっていることになる。「日本人慰安婦が朝鮮人慰安婦を逃がし、自分らは死に化粧をして自決した」軍国美談調の伝説は崩れ去ったわけだ。 騰越組はすべて朝鮮出身者で、「音丸」「朱美」「花子」「信子」「松子」「弘子」と名付けられていた20名もが顔を揃えていた。音丸は24,5才、朱美は23,4歳、あとはみな18,9歳だ。弘子だけは病気で、とても弱っていた。食事は1日2回のカユ一杯だった。 |
証言者 | 早見上等兵 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | ビルマ方面軍第33軍第58師団歩兵第113連隊 衛生隊本部 |
資料タイトル | 異域の鬼 拉孟全滅への道 |
著者、公文書発信者など | 品野実 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.5.25 |
発行所 | 谷沢書房 |
ページ | 349 |
出典備考 | 注:品野はa-3187で吉野がマダムと記しているのは垃孟にいた双葉と記しているが、西野留美子は米軍の尋問記録から騰越の「黄南淑」としている。a-3189参照のこと。 |
備考 |