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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報雲南省 保山市 騰衝市
資料にある地域情報騰越
慰安所があった時期
記載内容いよいよ明日は全員玉砕という前夜である。そしてその直前、彼女らは、日本人慰安婦らは前に書いたように、「あなたたちは何も日本に義理たてることないのよ」と言って朝鮮人慰安婦に投降をすすめたのだった。垃孟の場合とまったく同じである。正確な数字はここでも不明だが、日本人慰安婦の数はアイ子、キヨ子を除き、8人か9人であった。投降をすすめられた朝鮮人慰安婦の方は約30名だった。・・・そんな生活だったが、慰安婦の数は兵隊よりすこし多く30人か40人だったという。正確な数字の記憶が吉野孝公さんにないのは、吉野孝公さん自身に心のゆとりがなかったからだろう。・・・ただこれだけは憶えている。「うち6人、死にきれなかった、というか死にそびれた日本人慰安婦がいました。そのうちの2人は鹿児島出身と言っていました」鹿児島のどこか、名前は何というか、それは忘れた。聞いたのか聞かなかったのかそれ自体を忘れた。6人いたということだけを憶えているが、これは騰越にいた慰安婦ではなかった。雲南省には日本軍1個師団が進攻していたし、慰安婦の数は全軍で3百人から5百人前後いたはずである。やはり死にきれなかった慰安婦もいたのだろう。残りの朝鮮人慰安婦は騰越慰安所にいた女性であった。やがて収容所の全員は昆明に移されることになった。雲南省の省都である。その時になってトラックへ乗せられたのを見ると、慰安婦はトラック1台が満員になるほどいたという。
証言者吉野孝公
証言者属性日本軍兵士
部隊名菊兵団歩兵第114連隊
資料タイトル従軍慰安婦〈続編〉
著者、公文書発信者など千田夏光
公文書宛先
発行日1978.9.30
発行所三一書房
ページ30-35
出典備考
備考
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