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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報雲南省 保山市 騰衝市
資料にある地域情報騰越
慰安所があった時期
記載内容昆明捕虜収容所の捕虜データには、騰越で捕らえられた15名の名前がある。そのうち2名は16歳の少年と31歳の男性(軍人か軍属?)であり、残り13名が女性である。ということは、騰越の朝鮮人「慰安婦」は、36歳の「マダム」を入れて13名が生き残ったことになる。第4章で詳述するが、「マダム」は、「ミセス・ファン・ナムスク」(黄南淑)で、16歳の少年は彼女の息子である。一方、このデータには、「騰越と拉孟にいた日本人女性は4名」とある。騰越で捕らえられた18名のうち、台湾人が3名、朝鮮人が13名であれば、日本人は2名ということになり、残りの2名は拉孟で生き残った日本人「慰安婦」ということだ。
尋問記録には確かに「黄南淑」の名前が記されている。黄南淑は騰越の慰安所で「マダム」と呼ばれていた女性だった。米軍資料「昆明における朝鮮人及び日本人戦争捕虜」には、こう書き記されている。「朝鮮人は捕らえられたわけではなく、全員が日本軍部隊から逃れて中国軍に投降した。彼ら朝鮮人の愛国心は自発的で分りやすい。また、情報を提供することに、大変協力的である。ミス・ファンナムスクを除いた23名の女たちは皆、「慰安婦」になった。強制と騙しによることは明白だった。例えば1943年7月に朝鮮を出た15名は、朝鮮の新聞広告でシンガポールにある日本の工場で女子を募集しているという広告を見て応募したのだった。同様な誤解により南方に送られた女たちが少なくとも3百人はいた。・・・」
証言者
証言者属性日本軍兵士
部隊名騰越守備隊
資料タイトル戦場の「慰安婦」 拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡
著者、公文書発信者など西野瑠美子
公文書宛先
発行日2003.12.25
発行所明石書店
ページ156、190
出典備考昆明捕虜収容所 尋問記録
備考
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