出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | アチェ州 パンダ・アチェ |
資料にある地域情報 | コタラジャ |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | 内地から軍政要員がだんだん送り込まれて来て、何かと整い始め、臨時に軍政官として出向いていた将校も、本来の職務に戻って来る頃になると、部隊専属の慰安婦達も送り込まれて来た。内地から着物を着た女達がたくさん来たぞとの噂も伝わってきたが、メラボーのような辺境にまでは来なかった。コタラジャの大隊本部にも部隊専属の慰安所が出来た。着物を着た女達というのは、皆朝鮮人だった。大隊長がメラボーにいる連中はかわいそうだとのことで、巡視を兼ねて、慰安婦3人に係りの者を配して出張して来た。・・・大隊長は女達を残してコタラジャへ帰ったが、女達は3日の予定で滞在した。いわゆる”出張販売”とでも称すべきか。たとえ半島の出身者でも、着物を着た女達に会ったのは、石岐以来ほぼ1年振りであった。皆なごやかな気分になった。・・・先に師団の剣術競技会に出張の際、コタラジャに一泊したとき、ホテルに着いたときはかなり遅かったので、空いたのはいないだろうと思いながら、慰安所を尋ねてみた。当番兵には、宿舎の部屋に俺がいなかったら、列車に乗り遅れないように迎えに来るよう言い含めて出かけた。 |
証言者 | 平林正 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 吾が戦記・我が家の歴史-平林正遺稿集 |
著者、公文書発信者など | 平林照子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1996.10.11 |
発行所 | 私家版(松本市) |
ページ | 104-106 |
出典備考 | 証言の時期は、1939年と思われる。102-103pに、著者はメダンで、出たばかりの岩波新書『零の発見』を購入している。 |
備考 |
旧くはコタラジア。現在はバンダ・アチェ市。ちなみにメラボーの位置について。『大東亜南方圏地図帖』のスマトラ北部の西岸に「メウラポー」がある。現在の地図のムラボーMeulabohである。バンダ・アチェ市とメラボー間の直線距離は185キロほど。
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