出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | アチェ州 パンダ・アチェ |
資料にある地域情報 | コタラジヤ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 30人の女たち―というのは、島の最北端のコタラジヤの慰安所にいた女たちである。ほとんど朝鮮人だ。・・・終戦後、10日余り経ってからだが、本部の被服係を務めていた岡野軍曹は、副官の伊田少佐に呼ばれて、副官室に行った。そうして、副官から、「お前、ご苦労だが、慰安所の女たちを、メダンまで送り届けてやってくれないか。民政部だ。いちばん早い便で、帰国させる手はずをとってもらうことになっている」と、いわれたのである。2軒ある慰安所は、いずれも兵舎からは近い。やはりオランダ商館の建物を利用して、並んでいた。「ここの、アピアピが、行動を起こしそうな気配がある。パダンの近くで、小規模だが、すでに暴動の起こったところもあるそうだ。女たちは、サバン島(コタラジヤの北方洋上にある海軍基地)にもいるが、これは船で、メダンへ送るそうだ。われわれは一両日中に輸送列車を準備して、送ってやりたいと思っている。かわいそうだよ、あの女たちもな。できるだけのことは、してやらねばならん」副官はそういった。アピアピーというのは、火の如くーという意味で、この地区に住むアチェ族の結社の名である。・・・岡野は、副官室を出てくると、その足で、すぐ慰安所へ廻った。終戦後は、事務の繁忙も手伝って、のぞきに行かなかった。むろん、閉鎖もされているのだが、岡野の通っていた1軒の慰安所は、「偕楽荘」と名づけられていて、白ペンキを塗った瀟洒な2階建の建物である。バルコンが広くとってある。 |
証言者 | 証言者不明 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 宮兵団(近衛第二師団)の一部、コタラジャ防衛隊本部 |
資料タイトル | ひまわりの勲章 実録兵隊戦記 |
著者、公文書発信者など | 伊藤桂一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1996.6.11 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 163-169 |
出典備考 | 一部フィクションの可能性あり、要検討。 |
備考 |
※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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