証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報アチェ州 西アチェ県 ムラボー
資料にある地域情報スマトラ西海岸 メラボウ
慰安所があった時期未記載
記載内容そこは、メラボウと呼ぶ西海岸の小さな町だった。椰子林と水田にかこまれた人口千人に満たないカンポン(村)の類だったが、西海岸地区の郡役所があるところなので、私達の中隊が駐屯した。・・・ある日中隊長は、私に対して、「慰安所を作れ」という命令を下した。私は中隊の駐留に協力してくれている衛生隊の軍医と相談して、慰安所を作ることになった。場所はすぐ決まった。かつて、オランダ人の旅行者が宿泊したホテルが無人のままになっていたのを利用したのだ。個室が7部屋もあり、新しい洋館なので慰安所にはもったいないくらいのものだった。次は女達の募集だった。これも、蘭印軍がいなくなってあぶれている女達が何人も町に残っていたので問題はなかった。が、病気があっては大変である。何人か集まった女達を、軍医が検査して、合格したものだけ4人を慰安婦としてホテルに入れた。料金も決めたりして、慰安所を開設することが出来たのだ。
証言者中村八朗
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトルある陸軍予備士官の手記 下巻
著者、公文書発信者など中村八朗
公文書宛先
発行日1978.9.10
発行所現代史出版会
ページ37、40-41
出典備考著者経歴に「昭和15年盛岡陸軍予備士官学校卒。以後、中国、仏印、マレー、スマトラ島等での作戦に従軍」とある。1940年以降であるが証言の年月ははっきりしない。メラボウの位置については、37pに「メラボウから主都のコタラジャまで400キロ近い距離があった」とある。スマトラの西海岸でコタラジャからかなり離れていることから、現在のムラボーMeulabohのことと思われる。直線距離では約180キロだが、道のりでは400キロ程はあったのであろう。
備考 著者経歴に「昭和15年盛岡陸軍予備士官学校卒。以後、中国、仏印、マレー、スマトラ島等での作戦に従軍」とある。
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