出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | アチェ州 ビデイ県 シグリ |
資料にある地域情報 | スマトラ シグリ |
慰安所があった時期 | 1943年8月 |
記載内容 | スマトラではバタンシチに駐留し初めたのは18年8月頃と思われますが、シグリの町の海岸地帯の一般商店街より一寸離れた所に慰安所を特設しました。シグリ付近には我々富9380部隊は5百人位はいたと思いますので、他の各部隊で2千人ぐらいがシグリの慰安所に通ったことになります。慰安婦は深圳や香港の様な日本婦人や朝鮮婦人の強者はここまでは来ず、現地の華僑系の姑娘とか、アチェ娘、バタツク娘であって、現地のインドネシア語の前身であるマレー語しか通じないので、マレー語を勉強する者が多くなったが、手振り口まねで話し合った。 |
証言者 | 仁藤清吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 富9380部隊 |
資料タイトル | 横須賀重砲部隊東南アジア従軍記 |
著者、公文書発信者など | 仁藤清吉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1979.6 |
発行所 | 私家版(東京) |
ページ | 97 |
出典備考 | |
備考 | スマトラ島の北東海岸にシグリSigliがある。ちなみにパタンシチとは、シグリの西方にあるPadang Tijiであろうか。 |