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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報北スマトラ州 メダン
資料にある地域情報スマトラ島 メダン
慰安所があった時期1944年-1945年
記載内容次は、陸軍の主計将校が部隊長のために機密費などを使って女性を用意したケースで、第3航空軍第20野戦航空補給廠第2支廠(スマトラ島メダン)付主計将校の回想である。・・・
とある日、中隊長に呼ばれ、この頃将校会報時に部隊長の風当りが強くてこまっている。副官は若いし、この任務は主計の君しかやれないと頼みこまれた。確かに少佐というのは中途半端な地位で、大尉以下の行く遊び場には顔を出せず、といって上級者の行く料亭の大和撫子の割当は受けられない。先立つものの調達如何と隣の部隊の主計中尉殿に伺ったところ、部隊長のもつ機密費と比較的監査のゆるい物品販売所の会計から捻り出すほかなかろうとのことで、メダン市内某所に週1回という約束で、こぎれいな娘さんを通わせたところ、部隊長は承認印を私に預けっぱなしでご機嫌のよい日が多くなった。キンタマを握るとはこの事かと貴重な体験をした。
証言者永田澂
証言者属性主討将校 
部隊名第3航空軍20野戦航空補給廠
資料タイトル【資料紹介】主計将校と「従軍慰安婦」―中曽根元首相も慰安所をつくった―戦争体験記・部隊史調査から
著者、公文書発信者など日本の戦争責任資料センター
公文書宛先
発行日1995春
発行所日本の戦争責任資料センター
ページ85
出典備考論文は『季刊戦争責任研究 第5号』所収。原典は、主討将校 永田澂「軍隊生活懐古録」新京陸軍経理学校第6期生「新緑青々」記念文集刊行委員会編『新緑青々』1986、新緑会事務局、480頁
備考
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