出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 北スマトラ州 シマルングン県 プマンタン・シアンタール |
資料にある地域情報 | スマトラ島 シャンタル |
慰安所があった時期 | 1943年11月 |
記載内容 | これはまだ、ボクが行李班に籍のあった頃の話だが、シャンタルへ移動して間もなく、11月15日に一野病編制4周年の記念祭が催された。・・・演し物は、新国劇の当たり狂言、国定忠治山県屋の場と決まった。・・・動作も台詞も少ない、芝居そのものはなんという事はないのだが、メーキャップと衣裳には困った。結局誰かが慰安所の女性から調達してきたのだろう、洗い晒しの浴衣1枚に伊達巻の帯1本、化粧品は洗顔クリームだけというお粗末。 |
証言者 | 萩谷朴 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ボクの大東亜戦争 心暖かなスマトラの人達、一輜重兵の思い出 |
著者、公文書発信者など | 萩谷朴 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.7.25 |
発行所 | 河出書房新社 |
ページ | 90 |
出典備考 | |
備考 |
『大東亜南方圏地図帖』の北スマトラのトバ湖北東にペマタンシアンルがある。現在の地図のペマタンシアンタルPematang Siantarと思われる。当時からペマタンシアンタルがこの付近の町(市)名だったが、日本軍はシアンタルと簡略して使用していたものと思われる。
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