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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報北スマトラ州 カロ県 カバンジャヘ
資料にある地域情報スマトラ中部カバンジャヘ
慰安所があった時期
記載内容そこはカバンジェヘというスマトラ中部高原にある町だった。そこから7キロほどのところに、ブラスタギと呼ぶオランダ人達の避暑地があった。そこは立派な洋館の別荘が松林の丘の斜面に点在して、今も第三国の白人達が少し住んでいた。・・・連隊本部と、第一、第二大隊という私達の部隊の主力がその地に駐屯していた。・・・連隊本部はじめ、部隊の兵舎は、町の北側の小高い丘の松林の中に点在した。もとからある建物を最大限に利用し、足りないところは急造の木造の兵舎を作ってあった。私の中隊は部隊の西の端にあり、兵舎はオランダ人用の小学校の建物を利用していたので、洋館のしゃれた2階建てだった。・・・兵舎との間にある道はブラスタギへぬけて、主都のメダンまで行く公道だった。だから、民間の通路にもなっていて、住民達が通りぬけたので、なんとなくおだやかな感じがした。そこからその道の反対方向は坂になって町へおりて行っていた。休日には兵隊達はその町へ外出するのだが、映画館が一つあるだけで、大したものはない町だった。それでもレストランや中華料理屋などがあるので、少しは気休めになったろう。ただその町の外れに、やはり松林のあるオランダ人の宿舎があって、そこが軍の慰安所になり料理屋と女の家になっていた。休日に兵隊はそこへ出かけた。夜になると下士官や将校も行ってよかった。
証言者中村八朗
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトルある陸軍予備士官の手記 下巻
著者、公文書発信者など中村八朗
公文書宛先
発行日1978.9.10
発行所現代史出版会
ページ77、78、81
出典備考カバンジャヘの位置。トバ湖西北端から北方地点にカバンジャヘKabanjaheがあり、このカバンジャヘの更に北にブラスタギBerastagiがある。地理関係が本文からはっきりしないが、カバンジャヘの北側に兵舎があったということのようだ。そして、兵舎との間にある公道が、ブラスタギを経て主都メダンに通じているという。この説明は北方向についてのもので、本文の「その道の反対方向は坂になって町へおりて行っていた」という意味は、メダンに通じる公道の反対側を下ると、そこに町、つまりカバンジャヘがあると述べている。そのカバンジェヘに慰安所があるというのだ。
備考
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