出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 北スマトラ州 カロ県 カバンジャヘ |
資料にある地域情報 | ブラスタギー |
慰安所があった時期 | 1943年5月 |
記載内容 | サバン島ではドラム缶の風呂であった。シャワーよりはよかった。毎日爆弾を積んで、アンダマン群島から、コロンボに至る洋上を哨戒するだけであった。1週間もすると、また後方のメダン基地に帰る。哨戒する中隊を戦闘中隊と呼び、哨戒から帰った中隊を休養中隊と呼び、もう1個中隊を訓練待機中隊と言って訓練をするのである。休養中隊はオランダの避暑地、ブラスタギーという所へ行くのである。・・・小さな町であるが、医者、飲み屋、食堂など、一応なんでも間に合うように、オランダ人がしていたのである。我々は飢えたオオカミのように毎日慰安所へ通うのが日課であった。ブラスタギーには捕虜収容所があった。ちょうど宿舎から慰安所のある町に出る中間にあって、必ずその前を通らねばならぬのである。 |
証言者 | 宮脇廣信 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 七生神雷特別攻撃隊-大空に雲は行き雲は流れる- |
著者、公文書発信者など | 宮脇廣信 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.5.3 |
発行所 | 生涯学習研究社 |
ページ | 40-41 |
出典備考 | |
備考 | メダン基地にある宿舎から、ブラスタギーKecamatan Berastagiの捕虜収容所の前を通って慰安所があった述べており、中村八朗『ある陸軍予備士官の手記 下巻』を参照するとカバンジャヘKabanjaheと思われる。それ以外の慰安所情報がある場合は要修正。 |