出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 北スマトラ州 トバ・サモシール県 バリゲ |
資料にある地域情報 | トバ湖畔の町バリゲ |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | メダンは軍隊が永く駐留するには不適当であるという金原聯隊長の考えで、トバ湖畔のバリゲという町に移駐することになった。・・・部隊では脱柵・脱走・強姦を防ぐために15人の女を連れていた。兵隊と同じく朝夕は点呼をとり、部隊より糧秣を与えていた。大体必要な慰安婦の数は大便所の数と同じくらい必要であるが、なかなかそれだけの女が集まらない。募集してもゴノが蔓延していて10人の内、1人ぐらいしか合格しない。 |
証言者 | 宗像太郎坊 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ある軍医ののらくら戦記 |
著者、公文書発信者など | 宗像太郎坊 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.11.15 |
発行所 | 私家版(久留米市) |
ページ | 202-204 |
出典備考 | 著書略歴に「近衛工兵連隊高級医官(スマトラ)=昭和17年2月」とある。/「トバ湖畔の町バリゲ」の項で記載されている。メダンからその東方のテビンチンギTebing Tinggiに移動、そこから南下しシアンタルを経て更に南下するとトバ湖に着く。トバ湖のちょうど東南端にバリゲBaligeがある。 |
備考 |
著書略歴に「近衛工兵連隊高級医官(スマトラ)=昭和17年2月」とある。
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