記載内容 | バンガラ・プランタンというところに司令部がありまして、ほとんどその近くにいたわけですが、軍の兵站部が管理する慰安婦は、かなりの人数がいたと思います。慰安婦のことをマライ語で”ジャラン・ピー”というんです。”ジャラン”というのは”歩く”といった意味で”ピー”は娼婦のことです。つまり、部隊が動くのにつれて移動する女たち、といった意味なんでしょうね。・・・国籍は種々雑多だったです。日本人慰安婦は、中には日本人の女もいましたよという程度でした。ところが、これは将校用ということで、我々の手の届くところじゃなかった。女にもランクがあって、一番上がいま言った日本人。その下に台湾人、朝鮮人がある。その下が中国人。当時は支那人と言っていましたが……。その下がマレー人。最も下に言われていたのが原地の女だった。これは安い女で1円程度だったかな。・・・外出許可がもらえると、みんな飛んでいったものですよ。その時、”突撃一番”が1個ずつ配給になるわけですが、スマトラではこれが貴重でして、一度使ったものを持ち帰り、自分で洗ってかわかして次の時もう一度使う者もいました。・・・女も何十人かいたし、小屋の前で並ぶことはあったけど、話に聞いた、前の男がまだズボンをはいている最中に次の男が入っていって、あわただしくすます、なんてことはなかったんじゃないかと記憶しています。 |