証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報西スマトラ州 アガム県 ブキティンギ
資料にある地域情報フォルトデコック
慰安所があった時期1943年頃
記載内容フォルトデコックで私は、海外の軍隊には『ピー屋』と呼ぶ慰安所(倶楽部とも呼ばれていた)のあることを初めて知った。これは軍人を慰めるための、慰安婦の居る館のことである。この地で初めて知ったというか、スマトラへ来るマラッカ海峡の輸送船の中で、先輩、戦友達にその話を聞いたという方が本当かもしれない。・・・ある日曜外出の時、私はその道のベテランの戦友に誘われて、このピー屋へ初めて足を入れた。それまで外出しても、見向きもしなかった場所である。戦友、先輩達に「そんな意気地の無いことでどうする」「こんど俺が連れて行ってやる」戦友達に代る代る誘われた。・・・戦友達に尻を叩かれながらその門を潜った。ここは、オランダ人の住宅と思われる数軒(芝を敷きつめた庭もある)を一区画とした所で、道路に面した方の境を板塀で囲い、現住民に外からは中が見えないようにしてある。その囲いを一歩入ると、日本女性が数十人、脂粉を漂わせ、ベランダや日陰の芝生に腰を降ろし、兵隊達と談笑していた。これらの女性達は浴衣を着ているか、ワンピース姿である。派手な色柄のものを着て、タバコを吸っている人も多い。彼女達は、休日の外出で遊びに来る兵隊達を待っているのである。
証言者土金冨之助
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトルシンガポールへの道(下)-ある近衛兵の記録-
著者、公文書発信者など土金冨之助
公文書宛先
発行日1977.11.15
発行所創芸社
ページ29-30
出典備考注:著者経歴に「昭和16年1月、近衛歩兵第4連隊へ入隊。南支那、南仏印、タイ、マレー・シンガポールと転戦。さらにスマトラ島に3ヵ年。終戦後イギリス軍の捕虜として2ヵ年」とある。本証言は1943年頃のことであろうか。/朝鮮人・台湾人・インドネシア人。
備考 著者経歴に「昭和16年1月、近衛歩兵第4連隊へ入隊。南支那、南仏印、タイ、マレー・シンガポールと転戦。さらにスマトラ島に3ヵ年。終戦後イギリス軍の捕虜として2ヵ年」とある。
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