出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 南スマトラ州 パレンバン |
資料にある地域情報 | スマトラ・パレンバン |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | もう一つの情報は、朝鮮P屋第1明月楼に遊んだ将校が、夜半便所に行ったところP屋裏の華僑の家から明瞭に電鍵音を聞いたと言うのである。・・・1ヵ月目、意を決して払暁相手の家を包囲して一斉に踏み込んだが、完全な空ぶりであった。・・・諜者が危険な電報を打つのにこんな街中で打つ筈がない。航空隊の無線将校の耳もいい加減なものだ。その代わり場所がP屋の密集した所だけに、朝帰りの高級将校が僕の顔を見て照れくさがる顔や、外泊不許可の他兵科の下士官を発見するなど副産物が出てきた。・・・12時過ぎ、ちょうど眠りにかかったところを電話で起こされ、暑いが、また軍服を着て迎えの自動車で下士官を連れ、現場のP屋に駆けつけると、数名の将校が大立廻りをやっている。・・・ある時はどうも見た事のある顔だと思っていたら、僕が昭南から船でパレンバンに上陸する時、船に検疫に来て僕の上陸にイチャモンをつけた軍医だった。・・・「君は僕を憶えてるか」「いいえ知りません」「とぼけるな!!4月6日、僕が第5杉丸でパレンバン港に着いたとき君は検疫に来て僕に検疫官の職権をかさに着て生意気な事を言ったのを忘れたのか」「アッ!!あの時の……」「君は今晩P屋で酒に酔って女を殴り、器物を破損して暴れるので憲兵が制止に行ったのに、その制止を聞かなかったではないか。軍医の風上にも置けない奴だ。暴行罪で軍法会議に送ってやる」と言渡し、停泊場司令部に電話して、この旨伝えたら碇泊場司令官大野中佐が貰い下げに来たので油をしぼって帰らせた。 |
証言者 | 将校(後者) |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | スマトラ憲兵隊パレンバン憲兵分隊 |
資料タイトル | 赤道直下の血涙 大東亜戦争参戦の記録 |
著者、公文書発信者など | 河野誠 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1987.6.1 |
発行所 | 心交社 |
ページ | 107-109 |
出典備考 | 注:著者経歴に「昭和19年 スマトラ憲兵隊パレンバン憲兵分隊付、ブキチンギ憲兵分隊長、パカンバル憲兵分隊長歴任」とある。証言は1944年のことと思われる。 |
備考 |
著者経歴に「昭和19年 スマトラ憲兵隊パレンバン憲兵分隊付、ブキチンギ憲兵分隊長、パカンバル憲兵分隊長歴任」とある。
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