出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 南スマトラ州 パレンバン |
資料にある地域情報 | パレンバン |
慰安所があった時期 | 1942年11月 |
記載内容 | 私はパレンバンに到着しても相変らず糧秣係で、便宜上経理室から分離し、営外の炊事場や、糧秣倉庫に接続して事務室を設け、そこに起居することになった。・・・͡小溝看護婦は私が部隊長追放後「実に憎い憎い、殺してやり度いとおもう1年余の年月でした。ほんとうに誰にいうわけにもゆかず、何という苦しみだったか分りません」と告白した。・・・こうして看護婦たちを完全に孤立させて独占(?)したので小山少尉も「あんなの北沢倶楽部と看板をかけろ」と口惜しがった。(註=倶楽部とは現地で慰安婦のいるところ)監理室の改造が営繕係の手によって着々進行し、3室を占有する部隊長室の内の一つは応接室次はいわゆる部隊長室でその隣に厳重の扉でそこ1ヵ所より出入口のない1室が設けられた。窓は2重に閉じ、被服係によって造られた赤裏の黒幕が張りめぐらされた暗室である。寝台が搬入された。かくて彼が暴力をふるうべき準備は完了されたのである。この部屋の改造には自らがたびたび巡視して特にやかましい指図があったと伝えられた。実に昭和17年の11月のことである。私が1年余を経て蹶起し、事件となった際の調べによって部隊の将兵たちは一様に「噂はいろいろあったようだが、古屋が立つまで何も知りませんでした」と陳述し、憲兵隊長にこの時の事実を指摘されて、大喝を食ったのも当然である。・・・ |
証言者 | 古屋五郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 南方第9陸軍病院 |
資料タイトル | 南十字星の下に |
著者、公文書発信者など | 古屋五郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1964.9.1 |
発行所 | 新聞春秋社 |
ページ | 27-28、30、32 |
出典備考 | 詳しくは本書のほか、古屋五郎『慟哭・痛憤の戦時記録 南方第九陸軍病院―南十字星の下に』1989.4、ほるぷ社を参照のこと。 |
備考 |
※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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