出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 南スマトラ州 パレンバン |
資料にある地域情報 | パレンバン |
慰安所があった時期 | 1942年11月 |
記載内容 | 夜中の非常呼集がたびたび行われるので、兵隊は巻脚絆に靴履きで寝たりしたが、石坂の話だと「ピー屋へ行って、もてないと、きっと”自動車を病院へやれ”といって呼集をかけるのです」とのことであった。・・・当番の石坂は非常にまじめな青年で、いま迄も、かって慰安所に足を踏み入れたことがない位クリスチャン式のところがあったから、出張先の宿舎で部隊長が目についた器物をそれとなく石坂に暗示し、これを持ち帰らないと御機嫌が悪いのを大変苦痛にしていた。官舎付命令と、監理室の完成までの間を現地の女に戯れていた部隊長は、やがて2つの性病に侵されて、部隊長と同郷の薬室主任である立科大尉に命じて、自分で治療に当っていた。 |
証言者 | 古屋五郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 南十字星の下に |
著者、公文書発信者など | 古屋五郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1965.3.1 |
発行所 | 新聞春秋社 |
ページ | 32 |
出典備考 | 詳しくは本書のほか、古屋五郎『慟哭・痛憤の戦時記録 南方第九陸軍病院―南十字星の下に』1989.4、ほるぷ社を参照のこと。 |
備考 |