記載内容 | パレンバン市街には兵隊や一般の徴員用として、旭館、桜荘、明月、新明月等の慰安所があった。男たちは、街へ入るとすぐ酒を飲んだ。昼間から酒になるのは、明るい太陽の下で女の居るところにしけ込むには抵抗を覚えるからで、その照れ隠しにわざと度の強い酒を煽るのだった。ショート・タイムは1円50銭だった。街には下級の兵員が行く慰安所のほかに、高級将校を相手にする「新大阪」という料理屋があり、そこでは、2千坪を超す広大な敷地に、日本風の家屋を点在させて、大阪からきたという芸者を大勢揃えて、専ら佐官級の将校を遊ばせていた。・・・青木隊長が、高級料理屋「新大阪」で、ある佐官と女のことで争いになり、抜刀騒ぎがあったと噂されたのもこのころだった。・・・元気のよい高橋の声に励まされ、田中は休日毎にパレンバンの慰安所に出かけた。戦局の不利は彼女達にも分かっていた。・・・腹ごしらえのすんだ高橋は、先に店を出た。云われた通り田中は「東海楼」に向った。「桜荘」にもかつて通いつめた女がいたが、同輩の新崎と共用していたことが分かってから、その女から足が遠のいた。パレンバン近在に駐屯する兵員の増加に伴って、軍では、昨年あたりから慰安婦の数の不足をきたしてきた。日本から女性を連れてくるには船便が少なくなったので、現地で調達するようになった。・・・将校宿舎に近い「征空荘」では、そうした現地の女性を傭って専ら将校用とし、民間人や兵隊用として新たに「東海楼」を開設した。女性を徴発する時は、米や金品を親達に与え、別の目的でもあるかの如く偽って連れてきて、売春の用に供したものであった。 |