出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 南スマトラ州 パレンバン |
資料にある地域情報 | パレンバン |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 軍人の慰安施設も、映画館、食堂、のみ屋、慰安所とひととおりは揃っていた。慰安所は4軒あり約120名ほど、朝鮮の女の人がいたが、いついってみても満員に近い盛況だった。・・・「飛行隊の兵隊さんは金使いばかり荒くて乱暴でこまる」とこぼしていた。私なども待遇が少しでも悪いと、日本刀を抜いてフスマや障子に切りつけたり、あるいは座布団を切り裂いてみたり、悪いことをした方の組なのであまり大きな顔はできない。畳を軍刀でずたずたに切ってしまって損害を請求され、財布ごとおいてきたことが一度あった。慰安所の方も人並みにお世話になったが、1人の女ではあきたらず、千人切りよろしく、片っぱしから荒らすので、私が行くとたちまち「飛行隊のほうきがきた」なんて言われた。 |
証言者 | 水柿敏男 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 飛行第21戦隊 |
資料タイトル | 太平洋戦争ドキュメンタリー第22巻 栄光マラソン部隊 他4篇 |
著者、公文書発信者など | 中村正利 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1970.12.31 |
発行所 | 今日の話題社 |
ページ | 211-212 |
出典備考 | 水柿敏男「翼の陰に」 |
備考 |