出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 西スマトラ州 パダンパンジャン |
資料にある地域情報 | パダンバンジャン |
慰安所があった時期 | 1943年4月 |
記載内容 | 昭和18年4月、25軍司令部のスマトラ島中央部のブギチンギ市への進駐に伴い、電1主力は昭南港より、ス島のパカンバル港へ上陸、軍司令部近くのパダンバンジャン市へ進駐した。・・・市は交通の要地であり、分州庁、警察署が置かれており、また島内最高学府の男子及び女子師範学校の2校があり、もちろん小さな小学校がいくつかあった。・・・情勢が落ちつくに従い、下士官兵寮、慰安所、羊かん屋等邦人経営で作られ、また映画館も再開され慰安施設も整ってきた。 |
証言者 | 太田茂穂 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 電1 |
資料タイトル | 戦陣回顧 大東亜戦争 |
著者、公文書発信者など | 太田茂穂 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.9.25 |
発行所 | 私家版(長野県飯田市) |
ページ | 56-57 |
出典備考 | |
備考 | 『大東亜南方圏地図帖』のスマトラ中央西海岸よりのフォルトデコク(ブキチンギ)の南、パダンの北に「パタンパンジャン」がある。現在の地図の同所にパダンパンジャンPadang Panjangがある。 |