出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | ジャカルタ首都特別州 |
資料にある地域情報 | バタビア ホルニング通り |
慰安所があった時期 | 1943年9月10日 |
記載内容 | 【原文オランダ語】バタビア臨時軍法会議は、軍検察官がその公式の資格において、[青地鷲雄](原文:Washio Awochi)、長崎生まれ、60歳、職業 ホテル経営、現在バタビアの「ストラスウェーク」刑務所収監中、に対して提起した事件について次の判決を言い渡す。・・・ 彼は、43年6月2日、軍政監部(原文:Gunseikanbu)から、バタビアのホルニング通りに売春宿を開設するように指図を受けた。この指図が彼に二度出された後、彼は抗議しつつもこの指図に従った。ホルニング通りの一連の建物は売春宿になるように整備され、レストランとバーもこれに付随して設置された。これら全部を総称して、世間では「櫻倶楽部」と呼んでいた。利用を許可されたのは日本人民間人だけである。・・・被告人は主に帳簿付け、軍政監部との連絡、また物品買い付けに従事していた。この売春宿は、43年9月10日に開店し、20人の売春婦が働いており、45年9月ごろまで営業していた。・・・ 1.「ーー」 彼女は44年5月8日から、同年9月ごろまで、売春婦としてバタビアのホルニング通りの売春宿櫻倶楽部で働いた。・・・彼女は櫻倶楽部から脱走したが、その翌日に憲兵(原文:Kempeiman)に捕まり、コーニングプレイン・ウエストの憲兵隊事務所へ連行され、そこで1週間監禁され、その後放免された。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 5号事件(櫻倶楽部事件)/判決 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1946.11.11承認 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | オランダ国立公文書館蔵/wam公文書サイト:MT_bc_001 |
備考 |
翻訳は、梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、39-62ページから引用。日本政府の邦訳文はwam公文書サイト:J_J_151参照。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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