出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 西ジャワ州 スカブミ |
資料にある地域情報 | スラバトゥ通りに面した建物 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 「私を最初に犯したのは、ここにいた部隊のツムラという軍人でした」マリアムさんが拘束されていた慰安所はスラバトゥ通りに面して、牧師館つまり倉本部隊本部から3,4軒先に当時の建物のまま残っていた。その慰安所はキプロスと呼ばれた。キプロスはオランダ語でホテルやレストランを意味する。・・・連れていかれたのはキリスト教会のすぐ側の建物だった。まだ13歳、何のためにその建物に入れられたのか、まったく分からなかった。そこに入れられた直後、軍医から性病検査を受けた。その検査も何のための検査であるのか、理解できなかった。・・・キプロスに入れられていた小女たちの数は分からない。マリアムさんがキプロスにいた期間、ずっと一緒だったのは7名である。だまされてキプロスに連れてこられた人が多かった。キプロスを利用しに来たのは軍服を着た軍人だけである。兵隊は朝から夕方までの間に、階級の上の軍人は夜に来た。・・・倉本部隊がスカブミから去り、キプロスから解放された時、マリアムさんは17歳になっていた。その時は1銭も受け取っていない。カラテンガ村の叔父のもとに帰ったが、受け入れられなかった。 |
証言者 | マリアム |
証言者属性 | インドネシア人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | インドネシアの「慰安婦」 |
著者、公文書発信者など | 川田文子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.5.31 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 74-78 |
出典備考 | |
備考 |
スラバトゥ通り不明。東西に走る線路の北側の一画にセラバトゥSelabatuがあるが、ここがスラバトゥであろうか。 |