記載内容 | ある日、2頭の馬に乗って村にやって来た軍人が、テティさんの家に入ってきた。・・・トラックに乗った5人の日本兵がやってきたのはそれから数日後である。メイドとして働くように、そんな意味のことをいった。そして、テティを車の方に押し立てた。その時、背中に固い細い筒のようなものを突きつけられた。背に突きつけられたのは銃口だと感じた。・・・両親は、なす術もなく泣き叫んでいた。弟も妹も、日本兵に姉が連れていかれるという異常事態に衝撃を受け、泣き叫んでいた。長い時間、車に揺られていたように思う。粗末な建物に入れられた時は、もう夕暮れ近かった。そこで、テティさんは5人の日本兵に次々と強姦されたのである。・・・救われようのないことが起こってしまったのだと思い込み、自暴自棄になり、ここに残ってメイドをする他ないと諦めてしまったのである。ところが、メイドの仕事など与えられず、また次の日もテティさんは日本兵に犯された。はじめからテティさんはメイドとして使われるために連れられてきたわけではなかったのだ。そこは、パラカンサラックという村であった。茶農園の工場に日本軍は駐屯してた。・・・最初テティさんひとりであったが、つぎつぎに小女が連れ込まれ、その数は15人になった。ひとりひとり別の部屋に入れられ、外出はいっさい許されなかった。・・・ある日、テティさんは、意を決して部屋を抜け出した。・・・部屋に連れ戻され、制裁を受けた。そしてまた毎日、強姦が繰り返されたのである。1年後、その部隊はバンドンへ移動することになった。・・・テティさんは、木の実や野草などで飢えをしのぎ、さまよい歩いて、ようやく鉄道の駅を見つけ、ジャカルタに向った。家にはやはり帰れなかった。親戚に身を寄せ、3か月かかってようやく気持ちを整理して、家に帰ったのである。 |