出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 西ジャワ州 バンドン |
資料にある地域情報 | ジャワ島バンドン、グロテ・レンコン通りに面し、カントール通りの南西角 |
慰安所があった時期 | 1943年9月 |
記載内容 | 【原文英語】クラブ:バンドゥン(西ジャワ)1943年9月。グロテ・レンコン通りに面し、カントール通りの南西角にある、「ブーミプトラ」とよばれる新しい建物の1階は、イタリアの降伏まではクラブとして、ドイツ人とイタリア人によって使われていた。これは「バラライカ」として知られており、日本陸軍の高級将校が頻繁に出入りしていた。 |
証言者 | 未記載 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | オランダ軍情報機関(NEFIS)尋問報告 1234号 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1945.2.28 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 米国国立公文書館所蔵/wam公文書サイト:FM_017 |
備考 |
翻訳は吉見義明「資料紹介 インドネシアにおける日本軍「慰安婦」に関する資料ー『NEFIS尋問報告から』」『季刊戦争責任研究 第41号』2003年秋季号参照 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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