出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 西ジャワ州 バンドン |
資料にある地域情報 | バンドン |
慰安所があった時期 | 1944年頃 |
記載内容 | 少女たちの中で、ウイダニィンシさんは、日本兵から最もひどい扱いを受けた。日本兵にたいして従順でなかったからだろう。兵隊が部屋に入ってくると、「出て行け」とののした。その度に腫れ上がるほど両頬を殴られた。・・・その古い建物にいたのは約4か月、部隊が移動となり、小女たちも一緒にトラックに乗せられ、ボゴールに連れていかれた。ワルンキヤラ村に比べると、ボゴールの日本軍基地の規模はずっと大きかった。日本軍が駐屯していたのは、もとはオランダ軍施設であった。その一角の建物にウイダニィンシさんは入れられた。慰安所の規模も大きく、女性の数は約20人、ひとりひとりに小部屋が与えられた。さらに1年後、20人のうち4人がバンドンに移された。ウイダニィンシさんもバンドン組に入れられた。バンドンでも約1年を過ごすことになるが、ワルンキヤラ村にいた兵隊がボゴール、バンドンとずっと一緒だったので、その部隊の兵隊の顔は識別できるようになっていた。 |
証言者 | ウイダニィンシ |
証言者属性 | インドネシア人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | インドネシアの「慰安婦」 |
著者、公文書発信者など | 川田文子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.5.31 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 88-89 |
出典備考 | |
備考 |