出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 西ジャワ州 バンドン |
資料にある地域情報 | バンドン |
慰安所があった時期 | 1945年 |
記載内容 | 南方第5陸軍病院勤務1週間後、バンドン分院に配属された。私は内科勤務、しかも外来勤務だった。若い三好軍医中尉は親切に診断用語を教えてくれたので、診断助手を務めることができた。私は、軍隊に女子患者はいないと思っていたのは認識不足で、この外来は慰安婦の検診などを行うので、内地より妊娠してきた妊婦の診察にも軍医の統導で出かけた。分娩時は病院で私が助産した。慰安婦なるが故に授乳はできない。しかも父親は誰とも知れない子どもでも、母性本能で授乳したがる。私は見て見ぬ振りをする以外になかった。その不孝な赤ん坊はやがて母親の知らないところへくれてやられてしまう。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 忘れ得ぬ歳月”戦争”-離散・悲惨・慟哭の哀史- |
著者、公文書発信者など | 三上信夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.4.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 190-191 |
出典備考 | |
備考 | 文中に「私たち看護婦も」とある。菅原か? またこの項の文末に「野の花の如く」(盛岡退職女教師の会)と出典が明記。原本確認必要。 |