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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報西ジャワ州 チマヒ
資料にある地域情報チマヒ
慰安所があった時期
記載内容オモ・サラマさんはチマヒに住んでいた。・・・家の前に変電所があり2,3人の兵隊が終始来ていた。オモさんの庭先にはココナツの木があった。返電所に来る兵隊は、「ココナツの実をもらうよ」と銃で撃ちおとし、果汁をうまそうに飲んでいく。そのお礼にとキャラメルなどをもらったりしていたので、何人かの兵隊とは顔見知りになっていた。そんなある日、オモさんは、日本兵に「働く気はないか」と聞かれた。仕事の内容を尋ねたが、はっきりしたことは教えてくれなった。そして、1通の封書をくれた。これを持って、シンパン通りの事務所に来るようにとのことだった。・・・その事務所は、もとはオランダ軍の基地だったが、日本軍の駐屯地になっていたところにあったので怖かった。・・・それから約1週間、仕事は何も与えられなかった。・・・数日後、軍医が来て性病検査が行われた。他の小女たちの検診がすべて終わり、オモさんは最後になった。膣に器具を差し込まれ、出血した。思いもよらぬことであった。大きな衝撃を受け、気持ちの整理がつかないオモさんに、追い打ちをかけるようなできごとが起こった。午後、定期検診をしたドクトール・タナカが、夜、再び慰安所に来た。17歳のオモさんを最初に犯したのはドクトール・タナカである。・・・オモさんは慰安所にいた8か月の間、ほとんど毎週帰った。・・・家に帰れば無論、慰安所などに戻りたくなかった。自分自身を励まし、気持ちを強くして、自分で自分を強制して慰安所に戻ったのである。オモさんは、手を後ろで縛られ、1日中憲兵隊本部に立たされていた少女を見たことがある。少女は何度も頭から水をかけられていた。少女を制裁していたのは憲兵である。中国人はだまって見ていた。その少女は休日に家に帰って、慰安所に戻りたくなかったのだろう、1日遅れて戻ってきた。
証言者オモ・サラマ
証言者属性インドネシア人被害者
部隊名
資料タイトルインドネシアの「慰安婦」
著者、公文書発信者など川田文子
公文書宛先
発行日1997.5.31
発行所明石書店
ページ100-102, 105
出典備考
備考 チマヒはバンドンの北西にある。
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