出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
---|---|
現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 判決 第三 当事者の主張 (8)原告エリー・コリーヴァン・デル・プローグ ・・・原告プローグは、マックジラブリィのたばこ会社で働くと聞かされていたにもかかわらず、スマランのクラブで慰安婦として強制売春をさせられた。そのため、原告プローグは、性病に罹患してしまい、オランダ本国に帰国後、その治療に1年間の期間を要した。原告プローグは、1945年8月15日、バタヴィアのクラマット収容所から解放された。しかし、原告の家族は、インドネシアでの家も店もその他あらゆる財産を失い、原告プローグの父も殺されてしまっていた。原告プローグが収容されたスマラン(ハルマヘイラ)抑留所は、モロタイ臨時軍法会議法廷において、戦争犯罪で断罪されており、原告プローグが戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求事件 東京地裁判決 |
著者、公文書発信者など | 東京地方裁判所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.11.30 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 東京地方裁判所 平成6年(ワ)1218号損害賠償請求事件/wam公文書サイト:J_C_007 |
備考 | 現在の地図の中部ジャワの北海岸にスマランSemarangがある。 |