出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン市内 |
慰安所があった時期 | 1944年3月1日 |
記載内容 | 1944年のはじめ、この区画の居住者は全員ハルマヘラの抑留所へ移動させられた。ベッツィの2人の弟は別の抑留所に移らねばならなくなった。日本人にすれば、10歳を過ぎたらもう子どもではなかったからだ。・・・ベッツィとエレンは同じ抑留所に入った。そのため、ベッツィも日本の将校の前を歩かされ、エレンと同じく彼女も選び出され、いわゆる「自由意志申出書」に強制的に署名させられ、スマランの売春宿に連れていかれた。・・・お前の名前はこれからは「富士子」だと言い渡されたが、それは「聖なる母親」というぐらいの意味だと彼女は信じ込んでいた。売春宿は1944年3月1日に開店した。ベッツィは最初の頃はものすごく抵抗した。不安に悲鳴を上げながら、日本軍将校の手をふり払おうとしてみたが、どうしようもなかった。最後には、少女たちはひとり残らず降参した。日本軍は彼女たちの親がどこの抑留所にいるかを知っていたから、家族に累がおよぶのを怖れたのだ。 |
証言者 | ベッツィ(仮名) |
証言者属性 | オランダ系被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 折られた花 日本軍「慰安婦」とされたオランダ人女性たちの声 |
著者、公文書発信者など | マルゲリート・ハマー |
公文書宛先 | |
発行日 | 2013.11.15 |
発行所 | 新教出版社 |
ページ | 119-120 |
出典備考 | |
備考 |
現在の地図の中部ジャワの北海岸にスマランSemarangがある。なお、ハルマヘラ抑留所とは、ハルマヘラ島ではなく、スマラン市内の地名であるハルマヘラHalmaheraのこと。
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