出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年3月 |
記載内容 | 問 本慰安所事件の責任者は何名なりや? 「私の考へでは岡田少佐が主犯であると思ふ。彼は「カナリーラーン」の建物から我々を慰安所に連行する指揮をとった。又彼は我々に日本語で書いてある書類に記入署名させたが、内容は説明はなかった。下田は双葉荘の経営者、古谷は一慰安所、森本は「日の丸」、蔦木は将校「クラブ」の夫々の経営者、其の他にもいるだろうが私は知らない。 問 如何にして売淫を強制せらるるに至りたるや。 「44年2月23日3~4名の日本人が「キャンプ」へ来て17~28才迄の婦人を事務所の側に並ばせた。之等の日本人は婦女達を1人1人を呼び出し、最も侮辱的なる方法で頭の先から足の先迄調べた。又この際夫の有無や子供の有無等を尋ね、名簿に「✓」だの「〇」だの印をつけた。彼等の動作が余りにも「エゲツナイ」ので我々は非常な不安を感じて来た。次の日その日本人達は又来て明らかに選んだらしい婦人を数名並ばせた。之等の婦人は又もや日本人の前へ出て選ばれ直された。会長J夫人は既に始めの時、日本人にその目的を聞いたのだが、彼等は「何も心配なことはない、唯外の事務所で働く者を選ぶだけだ」と云った。2月26日再び彼等は来て10名の婦人を並ばせたが1名は病気だったので次の9名が並ばせられた。・・・3月2日から斯くして慰安婦としての仕事が始まった。或る者は時には一晩に3回から4回日本人と寝ることを強制された。 |
証言者 | J.A.O'H(25歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者J.A.O'H(25歳) |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1946.1.10 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_078/106-278~281 333a/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |