証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報スマラン
慰安所があった時期1944年3月
記載内容それから「バス」はKanarilaanと思はれる(私は「スマラン」の地理を知らない)ある建物に行ったが、其処には既に多数の婦女子が集められていた。1名の私の知らない日本人が訓示を行った。私は彼が何を喋舌ったのか判らなかったが、私の隣に立っていたv.d.S夫人は私に「Bep、どうも良いことではないらしい」と云った。然し私には状況がさっぱり呑込めなかった。それから3~4名が小さな部屋に入れられ、日本語で書いた書類に署名をさせられた。その傍には拳銃を手にした日本人が1名立っていた。私は一体之には何が書いてあるのだと訊ねたが、返事の代りに何だか解らぬことをガミガミと云はれた。他にもそのやうな人が沢山いた。私とG.v.d.、L.l.N.、J.O'H、K夫人の5名は別にされて、Tjandiにあった大きな家に連れて行かれた。(後に之は双葉荘と云ふ淫売屋であることが判った。)この家には板塀が廻らされてあって、小さな扉のついた入口がついていた。・・・
1-3-'44には、下田と云ふ日本人が来た。彼は2個の洗浄器を持って来てマンデー□□に一つづつ置いた。1日本人は我々は日本人の客をとらねばならぬと云ひ渡した。・・・
証言者B.J.V(29歳)
証言者属性オランダ人被害者
部隊名
資料タイトルBC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者B.J.V(29歳)
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日1948.8.27
発行所
ページ
出典備考国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_110/106-331~332 24740/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日
備考 『Geïllustreerde Atlas van de Japanse Kampen in Nederlands-Indie 1942-1945』(Asia Maior)の134pのSEMARANGの地図に「Tjandi」がある。スマラン市内を南北に直線的に貫く道路の南にある。現在の地図で同所は「candi」の地名のようだ。Tjandiとは、チャンディバルーだろうか。地名がチャンディバルーで楼名が双葉荘ということだろう。しかし、チャンディバルーには青雲荘(a-3407)もあったというから、Tjandiの地には双葉荘と青雲荘の両方があったのであろう。なお、本件の証言者はa-3435の被害者と同一である。
テキストのコピーはできません。