証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報スマラン
慰安所があった時期1944年3月
記載内容〇基礎事由の概要
昭和19年3月「スマラン」駐屯地司令官能崎清次は、軍司令部と暗黙の了解のもとに、「スマラン」抑留所に収容されている約百名のオランダ婦人を解放し、これを市内中4個所に分配して慰安所を開設した。
〇事件の概要
慰安所開設の発案者は、駐屯地司令部の高級官僚であった池田省一大佐で、同大佐から命ぜられて、その実施に当ったのは、庶務主任岡田慶治少佐であった。また岡田少佐の命令を受けて、要員の選考に当ったのは、石田英一大尉で、岡田少佐からは、厳重に希望者に限る旨の注意を受けて引き取りに行っている。抑留所に収容されている婦人の中には経験者もおったことは確かである。しかるに、2・3名の娼婦らしい者は含まれていたということであったが、多くは、良家の子女で、レストランにでも働く位で、出て来た者で、軍政部の嘱託である業者に一任して、選考に際して希望者を確めず、また趣旨を徹底させなかったことは、石田大尉の重大な過失であった。ロサンゼルスの海外放送で、連合側はやかましく本件を取上げ、日本側を非難した。私は、貨物廠の補給係として、ピリトン放送局の者たち(日本側の管理で俘虜抑留者中の連絡者を使用し海外放送に当っていた。)とも親しくなっておって、このことを承知した。これらの海外放送の件を承知した軍司令部は、慰安所の閉鎖を命じた。終戦間近かかったと思う。
証言者松浦政次郎
証言者属性元主計中尉、バタビア裁判通訳
部隊名
資料タイトルBC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 69号事件/スマラン慰安所事件資料、松浦政次郎供述
著者、公文書発信者など井上忠男
公文書宛先
発行日1962.2.19
発行所
ページ
出典備考国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_070/069-233~234/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日
備考
テキストのコピーはできません。