出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私は「アンバラワ」第4キャンプ(後に第9となる)の会長をやっていた。2月24日約8人の日本人が来て、542名中から18才~28才の婦女を外部の事務所で働かせる為に選出するから集めよと命じた。又2月26日は3名の日本人が来て11名の名の書いた名簿を私に渡し之を30分以内に出発の準備をさせよと命じた。・・・それでも全員を代表して我々は猛烈な抗議を行った結果、漸くのことに11名中2名(1名は肺病、1名は脊椎湾曲症)は除外され又家族は可及的速かに合流せしめるとの約束を得て、8名だけが全「キャンプ」中の大騒ぎの中に出発して行った。之等の娘は何れも「酒場タイプ」の者は1人もなかったので、我々としては不安乍らも事務所で働かせると云ふ日本人の言□に淡い希望を以ていた。・・・ 5月10日、R夫人は永松に呼ばれ10分程すると顔中腫れ上らし血だらけとなって帰って来た。永松は「お前らの思ふようになった。さっさと「キャンプ」を出て行け」と云って、いきなり拳で殴りつけたとのことである。それから1時間後には13名の家族達が行先も判らず出て行った。終戦後、前記のR夫人からの便りに依ると、彼女の娘等一行はやはり「スマラン」で醜業につかせられていたとのことであった。 |
証言者 | E.C.O夫人 |
証言者属性 | 第4キャンプ会長(47歳) |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 69号事件/証言 第4キャンプ会長E.C.O夫人(47歳) |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
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発行所 | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_037/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 | オランダ語資料からの日本語訳は、梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、125-131ページ参照。 |