出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年3月 |
記載内容 | 1.「スマラン」慰安所事件を最初に耳にせるは何時のことか? 「44年3月中旬吉田大尉より電話にて「スマラン」に抑留者を以てする慰安所あり。斯けることは国際法違反なるを以て速やかに閉鎖せしめられ度との報告あり。余は本報告を受けし時、例令志望者を以てせりとも。相手が無力なる抑留者なるを以て強制なる誤解を招く処しありと思考し直ちに之が閉鎖を決心し、その直後、軍司令官原田中将に余の見解を披歴したるところ、同中将も同意見にてその閉鎖を明言せり。3月下旬か4月始め、東京の俘虜情報局の小田島大佐来りたるを以て、余は彼に本件を報告せるに、彼も余と同意見なりき。次いて4月始め、小田[島]大佐と共に余は全島各「キャンプ」の巡視に出発し「スマラン」によりたる際、吉田大尉は前報告に関連して慰安所の即時閉鎖を建言せるを以て余は既に措置を採りたる旨彼に語りたり。戦時中は余は池田大佐、岡田少佐と会ひたることなし。 2.原田中将、小田島大佐、貴下は何故閉鎖せんと志したるや? 「先ず第一に婦人が抑留者たることは我々の賛成し得るところなりき。余は之等婦女子「バイテンゾルフ」の特別「キャンプ」に入れ特別の取扱をなさしめたり。例えば子供のあるものは子を呼び集め、病人には特別の治療を与えたり。 |
証言者 | 中田正之 |
証言者属性 | p.o.w抑留所本所長 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 69号事件/日本人証言 中田正之p.o.w抑留所本所長 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1947.5.1 |
発行所 | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_042/069-181/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
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