出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
---|---|
現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 スマラン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 蔦木 蔦木はフルヤの経営する写真館に雇はれ彼と共に□州地□海南島へ行けり。海南島にて結婚せる結果、妻を伴ひ昭和17年7月ジャワに赴く。而るにスマランに於いて再び既にフルヤの□たるのに分ふ。スマランにて蔦木は将校倶楽部を経営す。同倶楽部は元来、料亭なるも後に軍の命令に依り慰安所となる。白色女子の同処に選行せられし所蔦木は現場に居れり。彼は而し此の女子は何処より来るものや全然知らず。又彼自身全力を料亭の経営にそそぎありたり。但し斯る女子の泣声を耳にし極めて同情の念に駆られありたり。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 69号事件/追加事項 蔦木取調の件に森本、下田、フルヤに関する追加事項 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1946.12.31 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_057/069-202 16583/R‐Ⅳ |
備考 |