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資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報スマラン
慰安所があった時期
記載内容【原文オランダ語】44年2月24日、およそ8人の日本人と現地人が姿を見せました。当時、抑留所には女子供がわずか542人いました。彼らは、18歳から28歳までの女性は全員呼び出して、事務員として登録してもらいたい、と伝えました。・・・私と2人の補佐の[ー]夫人と[ー]夫人は、彼らから1枚の名簿を渡されました。それにはアンバラワの郊外にある事務所で仕事をすることになった11人の婦人と若い女性の名前が出ており、半時間以内に出発の用意をせよ、というのでした。・・・ですから、私たちは、彼女たちはただ事務をするために呼び集められたのだ、という日本側の発言を信用することになってしまったのでした。・・・1時間後、彼女たちは未知の目的地へ向かって抑留所を出発した。・・・
1945年9月、日本の降伏後、私はバタビアのニューエラーン9番地のクラマット抑留所内の[ー]夫人から手紙を受け取りました。彼女たちはスマランで娘たちに再会したこと、そして、彼女ら(娘たち)は、事実、日本人によっていかがわしい目的のために利用されていた、と書いてありました。
証言者スラバヤの公務員
証言者属性オランダ人証人
部隊名
資料タイトルスマラン事件 軍情報部調書・宣誓尋問調書 資料A/Nefis16/BN3209/-
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日1946.6.24
発行所
ページ
出典備考梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、125-131ページ
備考 原文オランダ語は未入手。関連資料として、wam公文書サイト:J_J_037
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