証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報スマラン フタバシュウ
慰安所があった時期
記載内容【原文オランダ語】1944年2月23日頃、私は妹3人とアンバラワ第4抑留所に収容されていました。その朝、抑留者たちの代表[ー]嬢は17歳から28歳までの女性たちは出頭してもらいたい、と通知しました。・・・その数日後、私たち8人、すなわち[ー]、[ー]夫人、[ー]、[ー]、[ー]、[ー]夫人、[ー]、それに私は、もう一度事務所に出頭を命じられました。・・・それが済むと、私たちはまた自分の家屋へ帰され、日本人たちは立ち去りました。それから2日して代表からまたもや連絡があり、今度は1時間以内に身支度をして抑留所をでなければならない、というのでした。・・・その後、私たちを乗せたバスはカナリーランにある建物の方へ走ったようです。・・・それから、私たちは3,4人単位で小部屋に入り、日本語の書類に署名させられました。そこには、拳銃をてにした日本人が立っていました。署名を求められている書類の内容について尋ねますと、私には不可解な言葉でなにか唸られただけでした。ほかの多くの人たちも同じでした。この女性たちの中から5人、私、[ー]、[ー]、[ー]、それに[ー]夫人が選び出され、チャンディにある大きな家へ連れて行かれました。後で分りましたが、これは「フタバシュウ」という娼楼でした。そこは周りに板塀をめぐらした大きな屋敷で、極めて小さい門がついていました。そこには門衛が監視していました。
証言者洋服仕立て屋
証言者属性オランダ人被害者
部隊名
資料タイトルスマラン事件 証人尋問調書 資料C/24740/R
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日1948.8.27
発行所
ページ
出典備考梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、140-145ページ
備考 原文オランダ語は未入手
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