出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 マゲラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 マゲラン |
慰安所があった時期 | 1944年1月 |
記載内容 | 1.慰安所開設の時期 「開設の時期はさ程早期にあらずして、有名なる「スマラン」慰安所開設に先立つこと僅かに過ぎず。故にMagelang慰安所は43年12月若しくは44年1月に開設せられたるものの如し。又、Semarang慰安所はMagelangの夫に見習ひて開設せられたるものなりとの風評もあり。 2.従業婦人 「Moentilanキャンプ抑留者約10名を連行してMagelang慰安所にて働かしめたるものなるも、慰安所としては前蘭軍の建物約10軒が使用せられたり。又慰安婦としては「スマラン」地区からの抑留者中より之を選び、Magelang地区からの抑留者は之に充てられざりき。 4.経営者 「委託経営者は「田上タモン」と称する約60才位の退役陸軍大尉なりしも、彼は軍属の身分にて、日本占領軍と共に「ジャワ」に上陸し、「マゲラン」占領当時より終戦に至る迄Magelangに於て同種の軍慰安所の経営に当りいたり。然し4-10-'45「マゲラン」にて拳銃自殺を遂げたり。 5.本件の責任者 「当時、Magelangに駐屯しありたる部隊及びその指揮官下記の如し。マゲラン幹候隊、輜重兵隊 松崎和市中佐 工兵隊 山口少佐 第5陸軍病院 高沢軍医中佐 「マゲラン」憲兵隊 宮本末尾少尉 鉄道隊 不明 松崎中佐は45年6月「マライ」へ転じ、現在不明。・・・山口少佐は45年の初期「ニューギニア」へ送らる。現在地全く不明。高沢中佐は46年6月内地帰還。宮本少尉は日本降伏後、中部「ジャワ」より送出せられたるも、目下チャンギ刑務所にありと思惟せらる。但し、宮本は本マゲラン慰安所の開設には反対せりと謂はれあり。 |
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資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/報告書 マゲラン慰安所に関する報告書 |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_105/106-324~325 21801/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 | 本報告書の作成時期と作成者不明 |