出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 東ジャワ州 スラバヤ |
資料にある地域情報 | スラバヤ 南慰安所 北慰安所 |
慰安所があった時期 | 1943年3月頃 |
記載内容 | その後、ジャワ島のスラバヤの南方第7陸軍病院に移り、敗戦を迎えました。・・・ある日、私は、兵隊たちが回覧している「㊙」と印された文書を目にしました。そこには「サチコ」「モモコ」などと慰安婦の名前があり、「生理中」「休業」などと書いてありました。そこにいた慰安婦は、朝鮮人、日本人、現地インドネシア人女性でした。日本人は、慰安婦だけでなくて、芸者もいました。通称「南」「北」と呼んでいた慰安所があり、私たち看護婦も私服で外出しようものなら兵隊に慰安婦と間違えられて、「あなたは、南ですか? 北ですか?」と聞かれたものです。ですから、外出の時には必ず陸軍の帽子をかぶり、腕章をつけるようにしました。といっても、慰安婦たちは、あまり外に出向くことはなかったようです。・・・前線に行く部隊に、慰安婦たちが従軍していくのを見たことがあります。数日間、大きな建物を宿舎として使っていましたが、目につくところに、慰安婦たちのいかがわしい下着が干してありました。・・・危険な前線に行くのは、ほとんどが朝鮮人慰安婦だったと思います。将校は、営外居住(兵営の外に住むこと)をしており、オンリーのような形で、インドネシア人女性を現地妻にしていました。子どものいた将校も多いですよ。 |
証言者 | 陸軍病院看護婦 69歳 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍慰安婦110番 電話の向こうから出歴史の声が |
著者、公文書発信者など | 従軍慰安婦110番編集委員会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.6.15 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 29 |
出典備考 | タイトル:「㊙の文書」 |
備考 | スラバヤはジャワ島東部の、マドゥラ島に接する位置にある。アジア歴史資料センター:C14061153900に2万分の1の「スラバヤ市街図」がある。地図欄外には「18年6月」とある。文字がつぶれてい読みにくいが、これを北側から見ると「北慰安所」(タンジョンペラのバタビヤ)、「軍属慰安所」(北部の警察署の東、スラバヤ駅の北)、「下士官兵慰安所」(監獄の東)、「南慰安所」(高等中学校の東)がみえる。これ以外に倶楽部と称するものがある。証言の北慰安所と南慰安はこの地図に記載されている。ちなみに南慰安所は現在の地図で見ると高等学校「Santa Maria High School Surabaya」の300メートルほど東にあったことがわかる。 |