出典種別 | 公文書・軍関係資料等
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現在の地域情報 | 東ジャワ州 ボンドウォソ |
資料にある地域情報 | ボンドオソホテル裏のベンゲベック通にある家 |
慰安所があった時期 | 1943年9月 |
記載内容 | 私は、自分でボンドオソのソーシャルクラブに出頭するように言われたので、出頭しました。・・・ソーシャルクラブに行くとインドネシア人が2,3人いましたが何もわからないので、私たちは警察署に行き、そこから電話で日本人の警部と連絡をとりました。そこに行くと、日本ホテルに行くように言われました。そこでノグチという日本人の憲兵隊長に迎えられました。ノグチは、私たちにそのホテルの背後にある3つの家を割り当てました。私たちにその中から一つを選べと言いました。その通りはベンゲベックでした。私は〇〇〇〇夫人と一緒に14番地に入りました。・・・1943年9月16日、私は16番の家に移りました。そこは△△△△夫人の所でした。(中略)私たちの家が慰安所になったとわかりました。私たちの部屋のドアにはそれぞれ番号が付けられ、インドネシア人が日本人にチケットを売り、購入したチケットの番号の部屋の女性と性交渉する権利がその日本人に与えられるというものでした。お金はその女性に後で渡されることになっていました。1943年11月初めの夜11時ごろ、ノグチとマツサキという2人の日本人がやってきました。・・・ノグチが通訳をおこない、マツサキが私と一緒に寝たがっていることがわかりました。私は拒否しました。・・・するとノグチは『そうならば、お前を殺すぞ』と言いました。そして彼はサーベルをテーブルの上に置きました。私は緊張して取り乱し猶予を頼みましたが、許されませんでした。恐怖のあまりとうとう受け入れざるを得ませんでした。 |
証言者 | Fさん |
証言者属性 | 事件当時31歳、バニュワンギの農場に住んでいた |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 第88号事件(ジョンベル憲兵隊事件)/尋問調書 79 被害者の尋問調書 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1946.6.15 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 林博史「ジャワ島における日本軍「慰安婦」等強制事件-ジョンベル憲兵隊ケース-」『季刊 戦争責任研究 第83号』2014年冬季号、48-49ページ。オランダ語原本を英訳し、邦訳したもの。 |
備考 |
日本政府の邦訳は、国立公文書館所蔵/wam公文書サイト:J_J_023/Fさんは原本ではJ.E.L.M。
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