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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報西カリマンタン州 ポンティアナック
資料にある地域情報ポンチアナ
慰安所があった時期1942年2月
記載内容岡部隊、すなわち、とにかくクチンに上陸してた慶子たちの歩兵第124聯隊がボンチアナを占領したのは翌17年1月29日であった。・・・ここで慶子たち18名のうち10名に1月30日ポンチアナへ進出「慰安業務に従事スベシ」との命令が出た。久しく登場しなかった石橋徳太郎が指揮し、10名があのトントントントン音のする上陸用舟艇にのせられた。その舟艇が「大発」とよばれることを慶子は初めて知った。・・・ボンチアナでは風とおしのいい、ベランダのある白壁のイギリス人の住んでいた邸宅が”慰安所”だった。慶子のあとを、おそるおそる妹分の金必連ら4人もついてきていたが、「オーサマノ、キュテン、ミタイネ」王様の宮殿みたいだと口をそろえ、玄関の所で幾度も幾度も泥のついた靴をぬぐいつづけているのだった。・・・
開店初日、慶子は、まだ大発による5百キロの航海でふらつく足でたっぷり29人の兵隊の相手をさせられた。他の9人もほぼそれくらいであった。手もちのサックがなく、あわてて大発が撃沈され海になげ出されたときに備えお札をつめていたサックからもそもそ札束をぬきとり、しわだらけのそのサックを慶子の眼の前で装填する兵隊もいたりした。
証言者慶子
証言者属性日本人被害者
部隊名
資料タイトル従軍慰安婦・慶子
著者、公文書発信者など千田夏光
公文書宛先
発行日1981.11.30
発行所光文社
ページ205-206
出典備考
備考 西カリマンタンの西海岸沿いにポンティアナックPontianakがある。
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