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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報東カリマンタン州 バリクパパン
資料にある地域情報バリクパパン
慰安所があった時期
記載内容日本兵たちは他の約50人の女子たちと一緒にわたしを中央ジャワのスマランへ連れて行きました。そこはレマ・ゲンパル地区にある〔日本軍がカトリック教会から接収した〕神父の宿舎でした。それから160人もの女子たちが集められると、私たちの一行は東ジャワのスラバヤへ連れて行かれブンガ・ホテルに入れられました。そこで二ヶ月足らずの期間を過ごしました。それから、木造船でボルネオのバリックパパンへ連れて行かれました。その船旅は5日間をしました。到着すると、私たちのグループはいくつかのグループに分けられ、およそ60人の女子は料理人や掃除人として働り、残りの100人はヨシダ、マトカイカ(Matokaika〔ママ〕)、チドリ、タナカの四つの慰安所で日本兵に仕えることになりました。わたしはトヨコと呼ばれ、ヨシダ慰安所で働かされました。15時30分から19時まで日本兵の性的な欲求に仕えなければなりませんでした。この時間帯は兵士たち割り当てられていました。そして、20時から明け方の5時までは士官たちに割り当てられていました。わたしの対応が気に喰わないときなど、わたしは兵士たちにいくども殴られました。1945年の日本の敗戦が近づくと、わたしの宿舎も連合軍の爆撃にさらされました。わたしは〔他の女子たちと共に〕サマリンダのテンガロンのダヤック族の地域に逃げて身の安全を保ちました。
証言者ラントラ
証言者属性インドネシア人被害者
部隊名
資料タイトル
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日
発行所
ページ
出典備考1997年7月7日、木村公一による聞き取り調査
備考
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